記念艦にするため輸送中に座礁、放棄。
1945年6月以降 第三十一海防隊 [ ] 1945年6月1日、名護屋湾を出港して機雷部隊主隊の機雷敷設を警戒。
1920年(大正9年)4月1日、類別改定により水雷母艦に変更。
月刊シーパワー No. コマ61 原本88頁 『 八雲(やくも) 艦種巡洋艦一等 二檣 戰闘檣あり 艦歴 中略 同10年一等海防艦に編入、昭和6・7年 日支 事變に從軍:同6年12月北支方面警備に從事 艦長大佐新見政一。
それでも、戦争遂行に不可欠な防衛のために決死の戦いを強いられた各海防艦、商船隊の活躍は、海防艦自体の評価はともかくとして、評価に値するといえよう。
1-3 攻略編成 ボス固定編成です。
我が國には現在七隻の海防艦があり、其の中には「八雲」級の如く、三十數年の老齢を以て、能く練習艦として世界の海上に行動していゐるものもあり、尚上海事變の如きに際して敵國沿岸に腰を据ゑて、海陸共同作戰に活躍、武勲赫々たるものもある。 工事終了後は第三十一戦隊の僚艦と訓練に従事。
3昭和19年2月17日付 海軍公報(部内限)第4618号。
とくに日本鋼管は、艦政本部4部員の(戦後、日本鋼管副社長)、5部員の(戦後、、日本鋼管顧問)、日本鋼管鶴見造船所技師のの尽力で、海防艦の量産能力や品質面で他の造船所を上回る多大な成果を挙げており、丙型海防艦は艦政本部の意向により日本鋼管に大量の建造が発注された。